ゲームにおける成長とは

 

  

長い時間をかけSEKIROをクリア(約45時間)してみて、ゲームにおける成長とは何だろうと考えるようになった。

SEKIROはボスだけではなく、雑魚敵すら強い。初めは、雑魚一体ですら倒すのに何度も死んでしまう。しかしプレイしていくうちに見切りや忍殺のコツをつかみ雑魚敵ぐらいなら難なく倒せるようになる。これはプレイヤーが長いプレイ時間を経て、自分だけのプレイ方法や攻撃のタイミングなどを見つけ、自分の好きなやり方でプレイできるようになるからだ。

人間は成長を感じるとすごく楽しくなる。出来なかったダンステクニックができるようになればダンスは楽しいし、蹴るボールに自由自在に回転を駆けれるようになるとサッカーは楽しいし、早い球が難なく打てることができれば野球は楽しいはずだ。

ここに基本的なゲームの面白さが発生する。(ノベルゲーム、恋愛ゲームなどは別として)

今日Twitterでプロゲーマーのウメハラさんのこういう動画を目にした

 



んんんん~~~~~

唸ってしまうような内容だ。

初心者から中級者になるにあたって成長というのはすさまじいものになる。新しい技を覚え、自分なりの対処を考え、指も最初よりめちゃくちゃ動く。ゲームをやっていて、一番成長を感じる時期がこの初心者から中級者の間なわけだ。

しかし中級者から上級者になるにつれ段々とその成長というものを感じる機会が減る。むしろ停滞しているように感じる場合もあるだろう。それは成長してないのではなく、自分のプレイスタイルが身に沁み、慣れてしまったからだ。そうすると自分では成長してないものだと感じるから、飽きたという風にしてしまう。心の中で

これが間違いだと。成長を少しでも実感することができれば飽きが来るはずがないと、ゲームでもなんでも。

昨日より一点でも点数を上げられれば成長しているし、少しでもダメージを減らせられれば、成長はしている。そこでその一点、一ダメージで自分が昨日よりも成長している!と感じれるかどうかなのだと。

やはりプロゲーマーは鋭い・・・

 

ではゲーム作る際、プレイヤーにどうやってゲームで成長を感じさせるか。

フロムソフトウェアは死にゲーというゲームジャンル(?)で有名だ。

ダークソウル(デモンズソウル)シリーズやブラッドボーンなどで世界中のゲームマニアから愛されている。

プレイヤーはゲーム内で何度も何度も死に、敵の行動パターンを覚え、自分なりの攻略方法を探し、ボスを倒す。こういうゲームに長けたゲームデベロッパーだろう。

 

さらに近年流行ったゲームの中に『Getting over it』というものがある。ツボに入った裸体のおじさんが、ハンマーのようなものを使って山を登るというゲームだ。(説明文だけだと意味が分からないゲームだ)

このゲームに明確な死、やゲームオーバーの概念はなく、プレイヤーは登って行った山(というか幻想世界)から落ち、何度も初期位置に戻されることで絶望を覚える。

この二つのゲームに言えることは、プレイヤーは自分なりのクリアの仕方を模索するというところだ。

 

これらのゲームが仲間が勝手に敵を倒したり、自動的に山を登ったりすればどうだろう。ゲームは単調で、カタルシスがなく、つまらないクソゲーという認定をプレイヤーから受けてしまうだろう。

フロムゲーや壺おじさんなどのゲームはシステムの介入(プレイヤーをサポートするようなアイテムや味方など)を少なくすることでプレイヤーに自力で壁を越えさせようとさせているのがわかる。そうすることでプレイヤーは心のよりどころがなく、自分ひとりで壁を越えなければならないからだ。それを超えるとプレイヤーは成長を強く感じることができる。

ここで間違えてはいけないのは、単にボスを強くしたり、特定の技術だけでしか倒せない様なそんな単純なレベルデザインにしてはいけない。プレイヤーがゲームをプレイしていく中で培った技術や能力で倒せるようにしなければならない。そこに成長を感じさせる秘訣があると考えている。

 

ゲームをより面白いものにさせたいなら、プレイヤーの成長に焦点をあて、ゲームの内容やレベルデザインを決めるのもありなのかもしれない。